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寛文年間の「下野国宇都宮城下の図」によれば、いわゆる宇都宮大明神の入り口より奥州路沿いの上河原町にかけての東西の通りが「大工町」と見える由。さかのぼって室町時代には、町内に鍛冶屋17戸・足袋屋8戸ありともなっており、中近世に至る迄、二荒山神社の御用職人等、神社に敬信の念厚い町民が息づいていたと思われます。明治18年東北線開通に伴う道路拡幅により、名実ともに今日の「大工町大通り商店街」の礎となり、当市随一の商業地として発展し、今日に至っております。なお、近年は卸売業者が郊外に移転し、その跡地に銀行・生保等の大型ビルが点在しておりますが、老舗のホテルを始めとする各種小売業者20軒余と共存する歴史ある商店街です。


アクセス
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